伊勢安土桃山城下町④
念願の安土桃山城です。何故、念願なのかは前の記事をご覧いただければと思います。
天守から望む伊勢。
北側、伊勢湾方面。
南側、ゴルフ場ですね。
西側、伊勢方面。
あれ、これも南側、ゴルフ場のようですね。
こちらは東側の鯱です。
東側、たぶん。
同じく、東側。
東側から
ぐるりと
まわって再び、西側伊勢方面です。
欄干も入れて撮ってみました。
屋根も入れてみます。
さて、いよいよ最上階へと向かいます。
階段、狭いです。
最上階に着きました。黄金の間だそうです。
Google で検索した方が素敵な画像が見られますね。
どーん
でーん
なんか、五百万円で一泊できるというような記事を見かけたのですが、どうなんでしょう?この黄金の間に布団敷いて寝るんでしょうか?お手洗いも遠いし、各フロアに展示物の武者人形が沢山あったりして怖そうですし?宿泊には向いてないような気がするのですが・・・
再び、お庭。
バスで城下町へと戻ります。
城下町から忍びの里、安土城までバスが出ているのですが、施設内ではなんと駕籠と呼ばれています。最初、駕籠が出てるのでそちらをご利用くださいと案内をされまして、てっきり、えっさほいさで運んでくれるのかと思ったんですけどねw冷房の効いたバスでした。残念でもあり、涼しくもありました。
ちょうど、夫婦岩の前に聳える山々の反対側ですね。最寄りの駅は二見浦で、徒歩15分だそうですが、バスで行った方がよいかと思います。二十年ほど前、駅から歩いて行った時は、結構歩いた気がします。
[公式] 伊勢安土桃山城下街|和の文化・美食・癒やしを楽しむ街
伊勢安土桃山城下町の観光記はこれでおしまいです。雪辱を果たせましたし、天守から望む伊勢・松坂は悪くありません。ただ、東京から遊びに行くにはちょっと遠いかな?
伊勢安土桃山城下町③
うひょー!いよいよ安土城でございます。 二十年程前、この門前で正に門前払いとなりました。
(回想始め)
門の中に入らない私を見た濃ゆい門衛さんが
「どうしました?」
とお声を掛けて下さり、
「え?あ、あの・・軍資金が尽きてしまって・・・」
しどろもどろな私。
「はぁ・・・そうですか、またのお越しをお待ちしております。」
門衛さん涼しげな眼差しを向けながらそう言うと、恭しく一礼してくださいました。
あれから早二十年。ようやく来られたと思うと、実に感慨深いものがあります。
(回想お終い)
まぁ、近くに来ることになって、そう言えばと思い出して足を運んだだけなんですけどね。
想い出ロケーション。
ででーん
どどーん
ばーん
中に入ると各階ごとに○○の戦いみたいなセットがあるのですが、ご覧の通りボケまくり。暑さと疲労で意識朦朧としてる様がよく撮れているように思います。
老骨に鞭撃って登って行きます。安土城の階段とか何かレアな感じがします。
おひい様方。
ご先祖様発見。
模型付き。
そして、本能寺の変コーナー。
全力で推理した結果、こちらがきっと信長さんなんじゃないかな?と思います。
がんばれー、明智に負けるな~!!( ̄m ̄〃)ぷぷっ
弥助さん。ひどいピンボケ。
— Mazuna (@mazuna_gp) August 26, 2018
映画化するんだってね→https://t.co/FsGdueexdm pic.twitter.com/veOF56jyo1
次回は、最上階と天守から一望した伊勢の風景です。
伊勢安土桃山城下町②
まだ御城下、湖畔周辺を徘徊しております。
小琵琶湖畔。何故か菅原道真の巨大黄金像が。
天気がいいですね。
15mくらいでしょうか?
松坂さんのおにく。まぁ、食べても分かんないですけどね、私には。スナック的には割とイケるお味だったかと思います。500円くらいだったかな?
うーん、ブレてますね。
ここもまた凄いんです。安土桃山に何故か、吉原が出現しておりますw
太夫、登場。
お客さんが一人、お大尽役として舞台に上がる事になります。
〇遊郭用語
↑こちらの記事、2分(5万円)とか書いてあるのが目に入って「ほえ~」と思ったのですが、よく見たら、にぶ(50,000円相当)の事でした。それなら遊びに行けたね!っていう。
※役者さんなので修正入れてません。駄目?
あれ?案内図見ると、大江戸劇場紅屋って書いてある。吉原じゃなかったかな? 吉原しかないと思うけど。
紅屋さんは「4」のところですね。昨日の山田奉行所は「3」になります。
[公式] 伊勢安土桃山城下街|和の文化・美食・癒やしを楽しむ街
伊勢安土桃山城下町①
やってまいりました『伊勢安土桃山城下町』でございます。度々名称が変わっている様ですね。私が行きそびれた時は「戦国時代村」だったのですが、現在は「伊勢安土桃山城下町」だそうです。
思い返せば二十年ほど前、せっかく来たのに遊び金が尽きてしまって門前からお城を眺めるだけという憂き目に遭ってしまった事があり、今回、ようやくのリベンジです。
砦っぽい入場口。
何やら戦ってる様ですが・・・お客さんに弓引いてますねw
入場料、折角なので1Day パス購入。あまりの暑さに割引チケット使うの忘れてます。
うーむ、空が広々として蒼いです。
入ってすぐお目にかかれる騎馬武者さんたち。
暑いのに甲冑着込んで大変ですね。
お城が見えます。
小琵琶湖の畔に見えるは、お蕎麦屋さんの様です。
何故か山田奉行所が。日によっては演目「大岡越前」が見られるそうです。
なんで、伊勢の安土桃山御城下で山田奉行所の大岡裁きwと思ったんですが、大岡さん山田奉行所の所長さんだったんですね。知りませんでした。
ところでお奉行様って奉行所の所長さんてことでいいんでしょうか?それとも別に所長さんぽい方いるんですかね?
感想:
えーと、入場してすぐの左側のお店で、なんとびっくり「皮ごと食べられるバナナ」が販売されているのですが、それがまた割と目玉が飛び出しそうなお値段でして「そんなにするなら剥いて食べるわw」っていうのが正直な気持ちです。
お姉さんに感じよく勧められたのでスルーするのも気が引けたんですが、流石にあれはちょっとなぁ・・・
〇名称について
2008年に「伊勢戦国時代村」から「伊勢・安土桃山文化村」へ。2017年から「伊勢安土桃山城下町」となっている様です。向かうバスの中で戦国時代村でない事に気が付いたのですが、文化村でもない事にはつい先ほど気が付きました。
〇公式サイト&ブログ
[公式] 伊勢安土桃山城下街|和の文化・美食・癒やしを楽しむ街
リービング鳥羽
名残惜しくはありますが、鳥羽を発つ日がやってまいりました。
出発まで町中をぶらぶら。雲が凄いです。
あれに見えるは鳥羽城址。残っているのは遺構のみですが。
段々の石垣です。
ワッフルな擁壁。暑さで溶けてしまったようですね。
宿泊先から見えていた鉄塔。
最後、和具を望んで鳥羽を発ちます。
鳥羽に来るのはこれで4、5回目になるかと思います。そう考えると結構来ているのかなと思いますが、 ン十年単位ですからね。あんまり来てないのかも知れません。でも今回は本当に来てよかったと思っています。宿も悪くなかったですし、時間さえあればもう二三日滞在したかったのですが、翌日に弁護士と打ち合わせの約束があったので、そうも言ってられませんでした。
今度来た時には熊野の方にも足を延ばして・・・って、それもう鳥羽じゃないですね。また来ることができるのか分かりませんが、是非また来られたら!と思っています。
バスセンターのお姉さんと観光案内所の方々が親切でよくして下さったので、おかげさまで快適な旅にできました。この場を借りて御礼を申し上げます。
答志島・和具③墓参
凄いですよね?村中にこんな標識がででーんとあるんですから。
たぶん、暑さのせいかと思うのですが、迷ってしまって村中をウロウロ。お寛ぎ中の漁師さん?たちに「何だアイツは!?」と睨まれている気がして内心ビクビクでした。
洞泉庵址
現在はコミュニティセンターになっているのですが、よくみると「九鬼の館」と看板が出ています。
血洗いの池。
復元のようですね。
水源となる山のようです。
胴塚に到着しました。
県の史跡に指定されているようです。
こちらですね。公の亡骸がこちらで、御首は鳥羽を一望できる山頂の方に葬られていいます。
こちらは村から出征した方たちの墓所のようです。
この先が遊歩道ルートです。
最初は、首塚から遊歩道で胴塚の方まで回るつもりだったのですが、道中、道なき道状態で無理すると危ないなと引き換えし、大人しく下から行く事にしました。何のこれしきと頑張ったんですけどね、今、私に何かあると皆困るので苦渋の選択でした。
でも、この胴塚側の様子をみると、諦めて正解だったようです。とてもじゃありませんが、この炎天下に道なき森など歩いていられません。
炎天下
山頂では割と泣き言を言ってた様な気がしますが、おかげで少しすっきりできましたので、こちらでは普通に手を合わせて御暇致しました。たぶん、もっとちゃんとお花取り替えたり、お掃除したりしないといけないのだと思いますが、不心得者は手ぶらでしたので。
港の方へ戻ります。
空が青いですね。
胴塚はこの標識のところから、そのまま真っすぐ。首塚も標識通りに行けばたどり着けます。遊歩道は気にしない方がよさそうです。
さすが漁村ですね。街に車が並ぶように船がずらりと。
待合所です。
十時少し前に戻ってきたので、十二時まで待ち惚けです。
仕方ないので島の観光案内を激写。
先程までいた山頂。
そして、鳥羽方面。
あまりにも暇なので太陽もと思ったのですが、眩しすぎて真ん中に収まりませんでした。
結構、小魚がいます。
以上、私のささやかな墓参でございました。
これで心月院(三田)、常安寺(鳥羽)、和具(答志島)とすべて回ることができました。私の場合には、九鬼家との関わりでと言うよりは、私を可愛がってくれた曾祖母のお墓が九鬼にあるという事が大きいのですが、今回は家というものをもう一度よく考えたいという思いがあって、家のため、遺される者たちが立ち行くように身命を投げうった公の墓前に参って、溜息をついてきた次第です。
もちろん、実際の当時の状況を私は知りませんし、公の想いは公のもの、私の想いは私のものです。そして、その区別をつけることに私は何の躊躇もありません。
さて、
法事と墓参り、お仕事とこれで一通り済みましたので、残るは最後の目的地、伊勢戦国時代村です。今は桃山文化村というようですね。
答志島・和具②墓参
今回の旅の目的地、嘉隆公の墓前にお参りです。
漁村の中を抜けて行きます。
少し傾斜のある林道を登っていくと、分岐があります。右手が首塚、左手が胴塚へと向かう遊歩道です。
こんな感じのところを抜けて行きます。
なんでしょうね?
行く手を阻むように覆い茂っています。
そこを抜けると今度は延々と続く階段が・・・
合間に見える絶景で一息です。
山頂につきました。
鳥羽が一望できます。
この先は塞がれていて進むことはできませんでした。おまけに蜂みたいなのがブーンと飛んでいたり・・・
塚はこんな感じのところです。
この地は私にとっては観光地ではないので、これ以上の掲載は控えますが、胴塚の方は普通のお墓ですし、そのまま載せる予定です。
それにしても、今の私にとってこの方の墓所ほど心に響く場所はありません。
私は九鬼家の人間ではありませんが、三田の九鬼は祖母の実家であり、曾祖母の嫁ぎ先でして、今もそれなりにお付き合いのある家です。私にとっては二番目に近い筋の家になりますが、それでも私のルーツのひとつであることに変わりはありません。
そしてそれ以上に、家を守るためにお腹を召された公の選択は、家など意に介さず滅ぼそうとする者たちから家を守っている身の私としては、言いようもないほどに重く響くのです。今の我々が在るのは、皆がやっていけるようにと力を尽くしてくれた者たちがいたからこそ。その遺徳で、我々の暮らしが成り立っているというのに、意味が分からないと言って投げ捨てようとする者がいる不思議。
一方に、家(皆)のために命を捨てる者がいれば、他方に、己のために特に必要もないのに家を破壊しつくさんとする者がいる、この落差は一体どこから来るのか?そんな問いに苛まれる果てのない日々にすっかり膿んでしまった気持ちを、この方の眠る地で寄り添わせて、少しばかり洗いたかったのです。
まぁ、ご先祖様にかこつけて、気持ちの整理といいますか、自分自身と向き合って来た次第でございます。
結論としては「甘えんな、俺!」という感じです。
帰り道にも絶景スポットで一息です。漁をしている船が見えてます。
※〇〇公という呼び方について
私自身の場合は、普段は特に尊称をつけて呼んだりはしていませんし、外では呼び捨て()内輪で名前を出すときには~さん付けなのですが、注意して聞いてみると、皆さんちゃんと公をつけて呼んでますね。内輪ネタをここで言ってよいのか分かりませんが、一部例外というか付かない方もいたりはします。そこら辺はまぁ、内々の歴史ですね。
ご先祖様終焉の地というのは、たぶん、決して縁起のよい場所ではないのでしょうが、 今回、訪れることができて本当に良かったと思っています。九鬼家の皆様は大丈夫でしょうが、私の先行きは甚だ怪しいものでまた訪れることができるかは分かりませんが、叶う事ならば是非に。