答志島・和具②墓参

今回の旅の目的地、嘉隆公の墓前にお参りです。

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漁村の中を抜けて行きます。

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少し傾斜のある林道を登っていくと、分岐があります。右手が首塚、左手が胴塚へと向かう遊歩道です。

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こんな感じのところを抜けて行きます。

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なんでしょうね?

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行く手を阻むように覆い茂っています。

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そこを抜けると今度は延々と続く階段が・・・

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合間に見える絶景で一息です。

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 山頂につきました。

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 鳥羽が一望できます。

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この先は塞がれていて進むことはできませんでした。おまけに蜂みたいなのがブーンと飛んでいたり・・・

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塚はこんな感じのところです。

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この地は私にとっては観光地ではないので、これ以上の掲載は控えますが、胴塚の方は普通のお墓ですし、そのまま載せる予定です。

 

それにしても、今の私にとってこの方の墓所ほど心に響く場所はありません。

私は九鬼家の人間ではありませんが、三田の九鬼は祖母の実家であり、曾祖母の嫁ぎ先でして、今もそれなりにお付き合いのある家です。私にとっては二番目に近い筋の家になりますが、それでも私のルーツのひとつであることに変わりはありません。

そしてそれ以上に、家を守るためにお腹を召された公の選択は、家など意に介さず滅ぼそうとする者たちから家を守っている身の私としては、言いようもないほどに重く響くのです。今の我々が在るのは、皆がやっていけるようにと力を尽くしてくれた者たちがいたからこそ。その遺徳で、我々の暮らしが成り立っているというのに、意味が分からないと言って投げ捨てようとする者がいる不思議。

一方に、家(皆)のために命を捨てる者がいれば、他方に、己のために特に必要もないのに家を破壊しつくさんとする者がいる、この落差は一体どこから来るのか?そんな問いに苛まれる果てのない日々にすっかり膿んでしまった気持ちを、この方の眠る地で寄り添わせて、少しばかり洗いたかったのです。

まぁ、ご先祖様にかこつけて、気持ちの整理といいますか、自分自身と向き合って来た次第でございます。

 

結論としては「甘えんな、俺!」という感じです。

 

 

帰り道にも絶景スポットで一息です。漁をしている船が見えてます。

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※〇〇公という呼び方について

私自身の場合は、普段は特に尊称をつけて呼んだりはしていませんし、外では呼び捨て()内輪で名前を出すときには~さん付けなのですが、注意して聞いてみると、皆さんちゃんと公をつけて呼んでますね。内輪ネタをここで言ってよいのか分かりませんが、一部例外というか付かない方もいたりはします。そこら辺はまぁ、内々の歴史ですね。

 

 

ご先祖様終焉の地というのは、たぶん、決して縁起のよい場所ではないのでしょうが、 今回、訪れることができて本当に良かったと思っています。九鬼家の皆様は大丈夫でしょうが、私の先行きは甚だ怪しいものでまた訪れることができるかは分かりませんが、叶う事ならば是非に。