維新後の肖像:織田家(天童)

昭和期の織田家(天童)

 中央にいらっしゃる方が信正様。

 

天童藩・織田家。

織田信長織田信雄ー信雄五男高長(宇陀松山藩二代目1590-1674)ー高長三男長政(旗本1628-1690)ー長政次男信清(旗本1666-1732)ー信清長男信栄(旗本1697-1769)ー信栄四男信邦(上野小幡藩七代目1745-1783)ー信栄五男信浮(出羽高畠藩初代1751-1818)ー信浮九男信美(出羽天童藩初代1793-1836)ー信美長男信学(出羽天童藩二代目1819-1891)

 
織田信敏(子爵1853-1901、信学四男、母は相馬氏)
ー織田栄子(信敏次女、婿:信恒、子爵、相馬中村藩誠胤長男)

ー信正(子爵1913-1993)

 

※家というものに馴染みのない方だと、恐らく血統的にどうなってるのかという話になるでしょうから血統に準拠しました。守ってるのはあくまで家ですからね、断絶、養子縁組があっても、あんまり関係ないです。基本的に何処かで縁のある方(まぁ、血縁ですが)をお迎えしてますし。何男かは、単に流れを追っただけなのであまり気にしないでください。

 

改めて見てみると面白いですね、内輪でしか分からないような出どころ不明の伝承みたいなものがあるのですが、血縁地縁を見ていくと、あぁ、たぶんこの絡みで、この時に出てきた話かなというのがあったりします。

 

柏原の信孝さんとは、母はよく存じ上げているようですが、私は法事で一度お目にかかった事があるだけです。近頃話題の宗廟家というのはとんと聞いた事がありません。

 

 

 

※因みに、家同士の縁組で天童、柏原の両方とご縁があったというだけで、私は別段、織田家の筋でも子孫でも何でもありません。大叔母が天童に嫁いで、大叔父のところに柏原からお輿入れでしょうか。

 

もう一枚、追加。

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